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『教養読書

 

  活字離れ、本離れは止まりません。読書をする意味を教えられていないし、スマホやゲームのように興味を簡単に持てるものでもない。しかしながら、21世紀を生きる人間としては、「問いを立て、考える」ことをしなければ、AIにすべてをもっていかれる未来は見えています。その根本として、読書は欠かせないと私も考えます。

 さて、著者の資生堂名誉会長、福原義春氏は、戦時中に有り余る時間を読書に捧げた人であり、古典や名著を読み続けてこられました。だからこそ、読書の意味についての言葉は極めて重く、胸に響きます。

 

 「読書は人の生存にとっての必需品ではないが、人生の必需品なのだ。」

 「我々の先祖である膨大な数の人たちが考え、人生体験をし、冒険をし、あるいは一生かかって作った思想が文字になって残っている。本を読むなら、それを私たちが比較的容易にいくらでも吸収することが可能になる。」

 「いまいる私たちがどのように生き、どのように死んでいくのかということ。そしてそのために、本を書いた著者と向き合って、あなたがどのように生きて、どのように亡くなったのか、そして、あなたが人生でいちばん愛したものというのはどんな価値であったのか、何であったのかを著者と対話するということ。それが、古典を読むことの意味になってくる。」

 「文字を読み、読書をし、たくさんの先人の人生観を自分の中に編集していくと、『自分とは何なのか』というところに最後は辿り着く。」

 「人はいままで読んだ本でできている。」

 

 より良い人生を築き上げるに、読書しないという選択はありえない。(福原義春著、東洋経済新報社、本体価格1,400円)

すべては導かれている

 

 多くの著作がある田坂さん。34年前の自身の最大の逆境、とそれを脱した経験から生きる根本を綴っています。

 34年前の致命的な病に倒れ、医学的には匙を投げられた状態になり、藁をもすがる思いである禅師に会い、告げられた言葉が「人間、死ぬまで、命はあるんだよ。」であり、 「過去は、無い。未来も、無い。有るのは永遠に続くいま、だけだ。いまを、生きよ!いまを、生ききれ!」でした。至極当たり前のこの言葉が心に刺さりました。誰しも、過去や未来に思いを馳せ、肝心要の現在を精一杯生ききれていない。そして、

 「不運に思える出来事、不幸に思える出来事も含め、すべての出来事が導かれた出来事。我々に大切なことを教えてくれる出来事、成長させてくれる有り難い出来事。」

と覚悟して、病は去りました。結果、書名の通り、「すべては導かれる」という原理に従って生きられました。

 同じことを、『宇宙の法則と調和して生きる方法』(クリス・プレンティス著、菅靖彦訳、サンガ、本体価格1,800円)で学びました。「出来事は宇宙の言語である。」であり、「自分の身に起きるあらゆる出来事は、起こり得る最善の出来事である。」とは本書と全く主旨が同じです。

http://blog.goo.ne.jp/idomori28/e/4e1fcbdcd7b9c6be2cdc548c34fc094c

 逆境を自分の成長の機会と考え、今に集中し、全力を注ぎ、たとえ、自分に直接の責任がないことでも、全て自分自身の責任として引き受け、その上で、すべてを天に委ねるという覚悟を抱けば良いと説いています。

 出版業界も先が見えないと言いながらも、今できることをしっかりせよ!と教えてくれる気がします。

(田坂広志著、小学館、本体価格1,300円)

『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』

 

 ロボットが東大に入れるかを目指した、人工知能プロジェクト「東ロボくん」や、中高生の「全国読解力調査」を行った著者が人工知能と日本の将来を展望した本書は極めて明解で、かつ恐ろしいシナリオを著しています。

  まず、AIに関して、2045年にシンギュラリティが到来すると喧伝されていますが、「到来しない」と明確な論を張っておられます。その理由は、知能を持ったコンピュータであるAIは数学、四則計算や統計、確率で動いており、目的や目標と制約条件がある範疇では人智を凌駕します。囲碁やチェス、将棋でのAIの勝利、また、天気予報の精度向上はそれの好例です。しかし、脳を模倣した数理モデルには、意味を理解することができず、読解力と常識の壁が行く手を阻んでいます。つまり、人間が言語読解力持ち、社会での常識を把握し行動できれば、AIに負けることはありません。

  しかし、「全国読解力調査」の結果、現在の中高生以上の学生の半数や、大人でさえも、教科書が読めないほどの読解力しかなく、人間の弱点はAIと同じです。これでは、人間がAIに凌駕されるしかなく、半数の仕事がAIに乗っ取られ、デジタル社会では新しい仕事が生まれないとされる未来に「AI恐慌」が引き起こされると断じています。そうならないためにも、読解力を向上させ、教科書は読める人材を育てていくことが最低条件になります。その上で、社会での課題を解決する柔軟な発想を発揮していくことが求められます。我々書店が提供している活字が読まれることの意味は充分にあり、活字の存在意義は人間の未来にとっても計り知れないと考えます。

(新井紀子著、東洋経済新報社、本体価格1,500円)

LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略

 

 この本は現代人のバイブルです。将来、人間の「長寿化」は避けられない事態となります。副題にあるように、100年時代は栄養の充実、健康志向の向上、医療技術の進歩、検査による早期発見・早期治療などに寄るものです。先進国で2007年生まれの半数は、少なくとも104歳まで生きる見通しとなれば、人生の戦略をじっくりと考えなければなりません。

 今の高齢者のほとんどの人は、教育 → 仕事 → 引退という3ステージの人生を歩んできました。しかし、長寿化する場合、このパターンの人生では引退期の年数が長くなり、とても金融資産がもたない状況に陥ります。従って、仕事期間が長くなるのは必然であり、これを前提に人生設計をしていく必要があります。

 また、AIの進歩などにより、仕事の内容も大幅に変容することから、キャリアを維持または向上させるには、教育 → 仕事 → 教育 → 仕事 というように次の仕事への移行期間に再度教育をしなければならない。

 また、長い幸せな人生を歩むために、お金の有形の資産だけでなく、見えない「資産」である家庭、友だち、地域コミュニティーへの無形の資産の構築も避けられません。有形と無形の資産のバランスも考え行動する人になるべきです。

 では、不確実性が増す長い将来を生きるためにはどのような心構えがいるか?

 「自分について良く理解し、人生に意味と一貫性をもたせ」、

 「多様な考え方を受け入れ、多くの選択肢を持ち、主体的に自らの人生の道を選択する」

度量を養っていくべしです。前回の方丈記や徒然草で語られた「無常観」をベースに、自分なら必ずできるという気概だけは持ち続けましょう。

(リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著、東洋経済新報社、本体価格1,800円)

『植物はなぜ動かないのか ─弱くて強い植物のはなし

 

 動物は自分の意思で動ける一方、植物は動けないから「弱い」存在と思っていましたが、それは下手な先入観でしかなく、本書で植物の命のダイナミックさを知って、尊敬します植物さま。

 その理由①植物の進化のスピード

 地球環境に酸素とオゾン層が形成され、海の緑藻類がコケとして陸上し、生息環境を拡大します。シダ植物も現れ、それにあわせて、両生類から植物を餌とする爬虫類が進化し、その一部が恐竜となります。恐竜は裸子植物を食料としますが、裸子植物は食べられまいと巨木化していき、恐竜も比例的に巨大化していきます。

 発芽するのに1年は必要な裸子植物は、被子植物に進化し、体内で受精する安全性と、発芽までのスピードを短縮する能力を獲得します。つまり、確実に子孫を残すことと、恐竜との競争に打ち勝つために、環境変化への対応能力としての世代更新スピードを持つことにより、その速さに追いつかない恐竜は滅亡の道を歩みます。

 世代更新スピードの短縮は「死」を早めることになり、『「老いて死ぬ』という行為自体が生命の進化の過程で自ら創り出したもの、「死」は地球上に生まれた生命が創り出した発明品である」という見解に驚愕しました。禅で言われる、「いま、ここ」の感性は自らの命の発露ですね。

 その理由②子孫の誕生のための技術

 植物で美しいと人間が思う花は、植物にとっては虫をおびきよせる技術です。花粉を風に飛ばす風媒花では、受精確率が低いので、昆虫、特に蜂に蜜を与える代わりに、花粉を蜂の身体に付着させ、他の花へ蜂を飛ばすことにより受粉確率を向上させる共生の術は、人間学でいう「他利」「植福」です。鳥やサルなどには果実を提供し、種を別の地に播いてもらうために、熟した果実の色を赤にして目立たたせるのも、お店の看板と同じです。

 その理由③動かない植物の生存能力

 動かない特性である「固着性」を持つ植物はCSR戦略という方法で生息地を得ています。

 CはCompetitive競争型は、戦ってでも生息地を勝ち取るタイプです。SはStress toleranceストレス耐性型で、その環境に耐えるタイプであり、最後のRはRuderal 攪乱適応型と呼ばれ、環境変化に臨機応変に対応するタイプになり、この二つは戦わずして、生息地を獲得します。SならびにRは植物自らが変化し、その環境に適応する「可塑性」を持っています。「逃げることなく、環境を受け入れて自分自身を変える」ことは人間が生きていく上でも重要な要素です。「ナンバー1になれる場所を見い出さなければ生存することができない。オンリー1とは自分が見出した自分の居場所」であり、特に雑草などの逆境に負けず、子孫を残すパワーは、我々も素直に学ばなければなりません。

(稲垣栄洋著、ちくまプリマー新書、本体価格820円)

ごめんなさい、もしあなたがちょっとでも行き詰まりを感じているなら、不便をとり入れてみてはどうですか? 不便益という発想

 

 世の中、「便利でなければ商売に非ず」の風潮がのさばっています。「便利、早い、安い」の錦の旗は間違いなく、官軍です。超便利なインターネット通販の登場後、我々の商売は不便の塊みたいなものです。お客さんにとっては、「在庫があるかないかわからないけれども、店に行って、無ければ肩を落として帰る」ところになりました。便利な存在は普通の店舗を不便のそれに落とし込めました。

 しかし、便利だけが世ではないと心強く訴えてくれるのが本書。このクソ長い書名の提案は「不便も取り入れると良いことがあるよ!」という「不便益」のススメです。

 便利志向の世の中では、何も「しなくてもよい」から「させてくれない」状態になり、流されるままになっています。できて当たり前になり、そこには快が生まれません。それに対して、「手間をかけ頭を使わされるという不便は、自分を変えてくれる。」益を与えてくれます。具体的には、「習熟を許す」「主体性を持たせる」「スキル低下を防ぐ」「人を嬉しくさせる」「俺だけ感を抱かせる」など、その人自身への優等な勢いを与えてくれます。

 車やスマホのナビゲーションは最短で目的地までの道程を示してくれます。途中で楽しいそうな場所を見つけて、方向を変えようものなら、素直にコンピューターに従うように助言があります。道草や寄り道は死語状態になりますが、時間の効率を無視し、行き当たりばったりで訪ねると非日常な事象に出くわし、喜々とすることがあります。これも不便益でしょう。

 「便利」というものさしばかりで測ると、人までが僭越的になるような気がします。また、「便利」が浸透すると、そのしわ寄せが違う所で生じているのは宅配業者を見れば理解できると思います。

 「在庫があるかないかわからないけれども、店に行って、無ければ肩を落として帰る」場所から、「えぇ~、こんなお店があったの!」と驚かれる場所へ変貌したいですね。

(川上浩司著、インプレス、本体価格1,500円)

2時間の学習効果が消える! やってはいけない脳の習慣 実証データによる衝撃レポート

 

 スマホやSNS,そしてスマホゲームと、手のひらにパソコンがのるようになり、人間の興味はますますデジタルの方へ移っています。本当はリアルが第一にならないとダメだと思いながらも、科学的な知見があればと考えていました。本書でそのことが証明されるでしょう。

 小中高生7万人の脳の解析データから驚くべきデータが発表されています。

 「勉強時間にかかわらず、スマートフォンの使用時間が長い子どもから、せっかくやった学習内容がきえてなくなっていった。」 ~ 「算数・数学の勉強時間が2時間以上でスマートフォン使用が4時間以上の場合正答率は55%、勉強時間が30分未満でスマートフォン使用をまったくしない場合は60%である。」

 「LINE等の使用が学力低下により強い影響力を持つ」 ~ 「どんなに勉強してもLINE等を長時間使用した場合には、LINE等を使用しない子どもより成績が下がってしまう」

 これに関しては、「パソコンやスマートフォンの使用習慣の強さと、脳の前帯状回(注意の集中や切り替えや、衝撃的な行動を抑えるといった機能に関わる重要な領域)という部分の小ささが関係している」と判断されており、脳の形が変わると結論付けられています。

 「どんなに長時間勉強してもゲームをしてしまうと、勉強した効果が打ち消されてしまう」 ~ 「長時間ゲームを行う子どもは、言語に関する能力が低く、長期的にその能力が発達しにくいこと、脳形態からも、記憶や自己コントロール、やる気などを司る脳の領域の細胞の密度が低く、発達が阻害されている。」

 以上は子どもに関するデータですが、大人に関しても同じことが証明されるのではないかと想像します。現在の大人の大半もスマホ、SNS、ゲームに明け暮れ、習慣化しています。子どもたちと違って自制心は働くでしょうが、幼少の頃からTVゲームに慣れ親しんだ世代が成人化する中、社会や会社でも同じ現象が起きているのではないかと危惧します。

 本書の第6章「習慣は、生まれつきの能力に勝る!?」には、「読書習慣が強いほど、神経線維のネットワーク(神経回路網)が発達する」と書かれています。そういう意味でも、子どもの頃から読書を習慣化することの大切さは脳科学からも証明されています。活字GOですよ!

(横田晋務著、川島隆太監修、青春出版社、本体価格880円)

世界一かんたんに 奇跡を体験する 潜在意識の授業

  

「潜在意識」ってよく聞くけど、理解できないなぁと思っていた時に目に入ったのが本書。「世界一かんたん」と言う通り、わかりやすい! 著者の山田浩典さんが京セラ在籍時に学んだ【稲盛和夫経営12か条~京セラ・フィロソフィー】に書かれていた、

 「強烈な願望を心に抱く 潜在意識に透徹するほどの強く持続した願望を持つこと」

をセラミック産業機械部品開発営業でセラミック製の包丁を開発しているときに印象付けられました。開発がおぼつかない時点で、稲盛社長からの檄が、「包丁が出来た場面を思い描け、繰り返し、繰り返し、繰り返し、強く思え!」でした。ほどなく、ジルコニアという新素材ができたおかげで、セラミック包丁は開発でき、「強烈な願望を心に抱く」ことを体験されました。この実体験から、潜在意識を実験によって理解しやすく説明されてい

ます。実験の内容に関しては本書に譲り、言葉で以下に説明します。

顕在意識は自分で意識できる意識、表面意識と呼ばれ、自分の身体、肉体を守るために存在します。それに対して、潜在意識は、自分で意識できない意識、無意識とも呼ばれ、自分の命を守るために存在しています。夢や願望を強く想うことによって、顕在意識の召使の潜在意識の扉を開くと、潜在意識は主人の頭にあるイメージに反応し、それが実現するように、人間がこの世に誕生して以来、命を守り生き残るために繰り返し行ってきた行

動をエッセンス化し、分類し、集合化した「集合的無意識」まで動かしていきます。実際、夢をかなえるメカニズムは「夢を明確に完了形で大断定して紙に書き、感謝の言葉を後に加え、腹式呼吸法によって、潜在意識と顕在意識の境を無くした状態で、その夢を毎日、言葉を発してイメージする」

としています。念ずれば叶うということですね。言語だけでなく、本書で解説されている実験を実際行うことにより深く理解できます。(山田浩典著、きこ書房、本体価格1,300円)

 どうせ死ぬのになぜ生きるのか 晴れやかな日々を送るための仏教心理学講義

 

仏教の教えが何であるか?色々な書籍に目を通しましたが、本書を読んでやっと理解を深めることが出来ました。著者の精神科医・名越康文氏は「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」という問いに、子どもの頃から四〇年近く答えが出せないまま、仏教に実践レベルでの教えを得られました。仏教の教えの実践の大きな目標は、「後悔と不安をつくる自意識を、静かで落ち着いた穏やかな状態にする」ことにあります。人間は過去への後悔と、未来への恐れや不安に苛まれ、三毒である「貧(欲深さ)」「瞋(怒り)」「痴(無知)」に陥ります。特に、怒りを静めることが大切であり、そのためには、自分の怒りを観察し、「行」をすることを薦めています。「行」と言っても、アイロンをかけたり、掃除をしたり、そのことに夢中になるほど日常のことで行になります。

 

 さらに、無知は、仏教の教える法である「無常」を知らないことです。世の中の物事はすべてひと時も留まることなく変わり続けることを知らぬままに、こだわり、とらわれ、物事を正しく観ることが出来なくなります。これも行を通して、到達できます。行の中で最重要なものが「瞑想」になります。

 このように自分を律することができても、仏教における「悟り」には至りません。大乗仏教での「悟り」は「方便」で完成します。「方便」とは、「迷いから目覚めようとする心を出発点として、生きとし生けるものすべてへの慈悲にもとづき、具体的な実践をする」ことで、人や物、自然への親切、貢献になります。自分を高め、他利に行動することこそが仏教の悟りの境地であれば、在家でも十分に帰依できます。

 

( 名越康文著、PHP新書、本体価格780円) 

 幸せ」について知っておきたい5つのこと NHK「幸福学」白熱教室

 

 『幸福学』という学問の範疇が心理学や経済学、社会学から生まれています。グローバル経済下において人が幸せに暮していく上でいかにすればよいかについて、新しい研究領域が拓いています。

 本書では、「人との交わり(social)・親切(kind)・ここにいること(present)」の3つが、「幸せのレシピ」として挙げられています。つまり、「人との結びつきの強さ」、「人への親切な行動と人やモノへの感謝」、「目の前のことに集中する」ことが大前提になります。

 その上で、幸せになるための収入金額やお金の使い方、仕事と仕事の関係、挫折や逆境からの立ち直り方、そして、最後に人間関係の築き方と幸せの相関について、多くの知見が書かれています。読めば想定と違うと思いますが、これでこそ人間なんだと感じること必至です。(NHK「幸福学」白熱教室制作班、エリザベス・ダン、ロバート・ビスワス=ディーナー共著、KADOKAWA,本体価格1,500円)

 

獺祭 天翔ける日の本の酒

 

 山口の一地域だけで主に飲まれる地酒メーカーだった旭酒造。二三〇年の歴史を持つが、蔵元の家が継いでからは九〇年。三代目の現社長・桜井博志氏は、大学卒業後は西宮酒造に就職、三年で退職し、蔵に戻ったが、父と対立し、石材業を営み、年商二億を稼ぐほどの規模に育てました。父が死去し、継いだ蔵は潰れる危機が肉薄し、石材業の利益を充当し、蔵存続に骨を惜しまず力を注ぎました。 

 ここからが三代目の真骨頂。酒造メーカーの常識を覆します。杜氏の交代時に、新しい杜氏に「大吟醸を造りたい」という提案は、「造ったことがない」の答えから、業界誌に載っていた吟醸酒作りのレポートのまま、製造し、これが「獺祭」誕生への糧になります。 

 地ビールに手を出し、大失敗を経た後、杜氏が突然辞め、旭酒造の社員で醸造する仕組みへ転換、経験ではなく、データー管理による製造、四季醸造、そして、日本を代表する酒造り、日本の食文化を広めるために海外へも展開する。

 本署の版元の西日本出版社の内山社長の言葉、「日本酒も長い凋落期を経て、どん底から這い上がってきました。この本は、同じく低迷を続ける出版界への良いヒントを与えてくれます。」が活きるほどの読了感です。(勝谷誠彦著、西日本出版社、本体価格1,500円 )

大事なことから忘れなさい  迷える心に効く三十の「禅の教え」

  

 禅の本を読み進めていますが、今までで一番理解しやすい本に出会えました。著者の京都・妙心寺退蔵院副住職の松山大耕氏は妙心寺生まれで、東京大学出身。禅を海外に発信し、外国人への禅指導は自ら英語で行い、政府観光庁「Visit Japan大使」、 京都市「京都観光おもてなし大使」に任命され、海外での講演もされています。

 禅とは、その漢字を分解すると、「単」を示すとなり、シンプルを目指す教えであり、その特徴を三つに集約されています。それは、①とらわれない、まっさらな澄み切ったこころ、②不要なものを極限にまで削ぎ落とし、あるべき本来の姿に向かう、そして、③言葉よりも実践を重んじるということです。

 例えば、本書の書名の「大事なことから忘れなさい」ということは、一流になるには、大事なことは「型」を習得することが必要ですが、型にこだわると「型」に執着し、自らのオリジナルが発揮できなくなります。「型」の一つ一つに集中し、量をこなし、「型」を意識せず、つまり、大事なことを忘れても実践できるようになり、一流の域に達するのです。「守破離」に通じます。

(松山大耕著、世界文化社、本体価格1,300円)

日本語が世界を平和にするこれだけの理由

 

カナダ・モントリオールで二十五年間、カナダ人に日本語を教えてきた金谷先生が日本語の特徴、そして、英仏語との差異を明確に示した書です。

日本語で「好きです」という気持ちを表す言葉には、主語や目的語がなくとも、意味が通じます。これは「好きだ」という「状況」を伝える言語である日本語の特徴を表しています。もちろん、主語は「私」であり、目的語は「あなた」ですが、二つともその状況の中に溶け込んでいます。

これが英語になると、「I love you」となり、文法は「S++O」で、主語と目的語は必ず必要となります。日本語と同じように、「love」とだけ言おうものなら、「誰が?誰を?」と訊かれることは必定です。つまり、「主語(私)と目的語(あなた)を切り離して対立する」、「自己主張」の言語こそが英語です。

この観点から日本語を考察すると、「私」と「あなた」を同じ場所に立たせ、「好きです」という感情をお互いに抱かせ、同じ方向を見る、「共視」「共感」を作り出す言語です。金谷先生の教え子が来日し、日本語を日常的に話す日本人に接してカナダに帰国すると、誰もが「心が変わる」、「静かに話をする」、「攻撃的な性格が姿を消す」ということを経験されておられます。だからこそ、書名の通り、「日本語は世界を平和にする」という信念を持って、正しい日本語を使える日本人になりたいと思いました。(金谷武洋著、飛鳥新社、本体価格1,200円)

 

魂の商人石田梅岩が語ったこと  ビジネスの極意と人生の知恵

 

「石田梅岩」という名は、日本史の教科書にわずかに登場する程度しか記憶にありませんが、商売人にとっては、こんな有難い人物はいないと考えます。商売人として培った考えを、多くの商人に伝え、教授することによって、彼の死後、彼の思想を「石門心学」として、商人の地位向上だけでなく、生き方にまで発展させました。また、資本主義をプロテスタントの教えと融合させたウェーバーや経営の本質を見抜いたドラッカーと同様の考えを、彼らより200250年前に提唱していた先見性に驚きを隠せません。その要諦を書いた本書は、商人のバイブルになるはずです。

石田梅岩の教えは、「正直」「勤勉」「倹約」「自立」というキーワードに収斂されますが、私が大きな気づきを受けたのは「倹約」です。倹約とは、「三つを二つにすませる工夫をする」と述べられていますが、その倹約した「一つ」を「世間(世界)のために使う」ことが真の倹約としている点、また、「人間が本来持っている『正直な心』を取り戻すための実践方法」として、倹約を位置づけていることに大きくうなされました。

そして、彼のお金に対する認識の根底には、「金銀は天下のお宝なり。銘々には世を互いにし、救い助くる役人なり」と看破する、「お金というものはもともと個人の所有物ではなく、公=社会のものである」という事実がマグマのように噴出しています。

究極は、天地と不離一体となる商い、つまりは正直に、日々勤勉に務める商いこそが、世のため、人のため、そして、自分の成長のためになるという信念を生み出しています。商人に完成形はありません。日々新たなりの思いでこれからも書店道を歩んでいきます。本体価格1,700円

「サル化」する人間社会  

 

   この度、京都大学の総長になられた、ゴリラ研究の第一人者・山極寿一氏は、「人間とは何か」を探るために、霊長類学と人類学の研究をされてきました。人類と祖先を同じであるゴリラのフィールド調査を通して、現代人間への痛烈なメッセージを述べておられます。ゴリラの行動はとても興味深く、

  ・群れの仲間のなかで序列を作らず、優劣の意識はない

  ・勝ち負けの概念がなく、喧嘩の仲裁は非常に平和的

  ・じっと相手の目を見つめることによるコミュニケーション

  ・威嚇されても相手の視線を避けない

  ・相手が何をしたいのか、自分が何を望まれているのかを汲み取り、どういう態度をとるべきなのかと状況に即して考える

  ・共存脳力があり、仲間で食物の分配をする

  ・同性愛行動を取る(人間には同性愛行動を起こしやすい性質が進化の遺産として受け継がれている)

  

 それに対して、同じ霊長類ながら、サルは純然たる序列社会であり、ゴリラとは対照的な社会を形成しています。サルは個体の欲求を優先し、勝ち負けは明確です。 

 人間は、子育てや食を分かち合うために、「家族」と、家族の補完的な役割をする「共同体」という集団に所属しています。この2つの集団内で、普遍的な社会性、すなわち、「見返りのない奉仕」を行ったり、「互酬性」のある行動を取り、集団に対する「帰属意識」を持っています。これはゴリラの平和、平等主義の側面を受け継いでいます。

 しかしながら、新自由主義、グローバル経済に突入し、勝ち組と負け組の区分がなされ、個人の利益、そして、効率を追求する社会に指向する結果、食事を共にしていた家族はバラバラになり、孤食化し、集団への帰属意識も薄らぎ、人間本来の姿から乖離しています。また、インターネット、メール、SNSなどのデジタルによるコミュニケーションが進み、「文字」だけによる情報の交換が効率よく行えるようになりました。家族や共同体が持っていた、態度、顔、表情、目の動きを通じての、対面的、フェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションは非効率になってしまった感があります。このように、現代において「人間社会は加速的にサル社会化している」山極総長に看破されています。我々と祖先を同じとする、ゴリラを見直し、見習う、謙虚さが必要ですね。(山極寿一著、集英社インターナショナル、本体価格1,100円) 

『当たり前』の積み重ねが、本物になる 凡事徹底 ― 前橋育英が甲子園を制した理由


 高校野球の甲子園の優勝チームの選手たちを指導していく野球部監督の手腕、言葉には惚れ惚れするだけでなく、その生き様、そして考え方には学ぶべき点が多いですね。2013年夏を制した、前橋育英高校・荒井直樹監督もその一人ですね。
 書名の通り、ぶれずに「凡事徹底」を貫かれています。
「誰にもできることを 誰にもできないくらい 徹底してやり続ける」

言うのは簡単ですが、行動するのは並大抵のことではありません。「積み重ねて、積み重ねて、積み重なったものが、いつかきっと大きな財産になる。」とは至言です。
 また、練習を単に練習と捉えずに、「練習を試合だと思って臨み、そこで課題が見つかれば、より早く試合で成果を出すことができる」ように、常に本気で取り組んでいます。
 そして、ご自身の本気度は、「適当な指導者のもとでは、適当な選手しか育たないはず。」というように、自分をより高める努力も惜しみません。監督以下選手も、「人間性を高め、勝つために必要なチームづくりの極意」が本書には散りばめられています。(荒井直樹著、カンゼン、本体価格1,600円) 

弱虫でもいいんだよ

 

 人間は2元論にとらわれています。「便利」と「不便」なら「便利」を選び、「早い」と「遅い」なら「早い」が良いと思っています。しかし、本当にこれでいいのだろうか?今回は「強い」と「弱い」で2元論立脚がいいのかどうか考えています。

 自然界では「弱肉強食」として、「強い」ものが「弱い」ものを食する食物連鎖のフレームから、強くなければならない、弱いと餌食になる可能性があるとしています。しかし、食べられる存在がなければ自然界は成立せず、食物連鎖のトップは脆い存在となります。つまり、

 「強い生き物が生き残る」のではなく、「生き残ったものが強い」

としています。生物は「他の生物と少しずつ生息環境をずらしながら、自分の居場所を確保している」わけです。 この「強弱」の2元論から抜け出す手立てとして、

 1.弱い者の視点に立つ  2.違いの大切さに注目する  3.すべては依存しながら生きている

ことを念頭に置くことを提案しています。小粒でもピリリと辛い存在になれば、好んでいただけるやもしれません。弱くても、その存在意義を示し、なくてはならないものにならなければなりません。

(辻信一著、ちくまプリマー新書、本体価格840円)

心のなかの幸福のバケツ 仕事と人生がうまくいくポジティブ心理学


 「なぜ心理学はネガティブな面ばかりを追いかけるのか」という疑問から、1950年代から50年以上にわたりポジティブな面を研究した祖父ドン・クリフトンと、その孫トム・ラスが書き上げた本書は、ポジティブ心理学がわかりやすく書かれています。
 原稿を書き上げていた頃、「ポジティブ心理学の祖父」「強みの心理学の父」と呼ばれていた祖父は末期癌、そして、孫も16歳から、何の前触れもなく、各種の臓器に腫瘍ができるフォンヒッベル・リンダウ病に罹っていました。病気から考えると、この2人は完全なネガティブな心理に陥るはずですが、「ポジティブな感情のほうが、ネガティブな感情よりも強い影響力をもちうる」という本の結論が彼らを強くして、この本が上梓できたのではないかと思います。
 ポジティブ心理学のポイントは、「バケツとひしゃくの理論」で表現されています。
「人は誰でも心にバケツをもっている。バケツに水があふれているときが最高の状態だ。逆にバケツが空の時が最悪の状態だ。人はバケツのほかに、ひしゃくももっている。他人と接するときは、かならず、このひしゃくを使う。相手のバケツに水を注ぐこともあれば、バケツから水をくみ出すこともある。誰かのバケツに水を注げば、自分のバケツにも水がたまる。」
 仏教の利他と同じです。そじて、ポジティブになるための5か条は
1.バケツの水をくみ出すのをやめる
2.人のよいところに注目する
3.親友をつくる
4.思いがけない贈り物をする
5.相手の身になる
ということを習慣化することを提案しています。ポジティブになるのはちょっとした気遣いかもしれませんね。(トム・ラス、ドナルド・O.クリフトン共著、高遠裕子訳、日本経済新聞出版社、本体価格1,300円)

 

里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く』

 

資本主義の前に「里山」? 得体のしれない資本主義を提唱されていますが、その定義は「かつて人間が手を入れてきた休眠資産を再利用することで、原価0円からの経済再生、コミュニティ復活を果たす現象。安全保障と地域経済の自立をもたらし、不安・不満・不信のスパイラルを超える。」です。現状のマネー資本主義とは全く常識を異にします。

 まずは現在見捨てられているものに焦点を当て、生きる上での豊かさを求める手法です。例えば、今まで産廃にしていた製材所の木屑を原料にして、バイオマス発電をしたり、木質ペレットを製造し、エネルギー源にしている岡山県真庭市の事例が書かれています。里山資本主義には「大量生産・大量消費・大量廃棄」や「外部への資源依存」はありません。逆に「身の丈の経済」「エネルギーの地産地消」「持続可能性」「多様性」が豊かであり、世界に先駆けて進行している日本の課題である、少子高齢化社会への解決の糸口さえも呈しています。お金は地域内でグルグル回転する、地域内再投資力が高く、世界で冠たるマネー資本主義の補完的役割を演じています。仕事のない都会での生活から、仕事を自ら作り出す田舎での生活に着手する人が増えているのも、里山資本主義信奉者が増えている証拠でしょう。

 「かつてシェアという言葉は市場占有率と受け止められました。(中略)今は分かち合いという感覚を持って人々に受け止められるようになっている。」だけ、人と人のつながりを指向する経済が台頭しています。都会でもこの考えで動けば、必ず幸福感が増すはずです。

 (藻谷浩介・NHK広島取材班著、角川oneテーマ21、本体価格781円) 

 

タネが危ない

 

 野菜を買いに行って、産地や栽培方法である無農薬とか有機とかはチェックするけれども、タネの種類までは確認しません。売り場に表記さえもないですよね。しかし、本書を読めば、どんなタネなのか知りたくなります。

  手塚治虫『火の鳥』初代担当編集者となり、手塚一途で人生を歩むはずが、虫プロが倒産し、家業の野口種苗研究所を継ぐ野口勲さん。野口種苗研究所は、我が国で唯一、固定種タネのみを扱っています。固定種とは、栽培後に良く育った野菜のタネを自家採種し続けているタネです。採種したタネはみんな違う個性を持っています。

 しかし、世界の農業を席巻するのはF1(一代雑種)という、一代限りのタネです。このF1種で栽培された野菜は同じ大きさ、そして、病気にも強いながらも、問題はタネの作り方、すなわち、「雄性不稔」にあります。これは、葯(やく)や雄しべが退化したものの横に、雌雄のある種(しゅ)を植えることで、F1のタネを採種する方法です。通常なら、雄しべを引っこ抜くのですが、その手間を省き、効率を上げるのです。

 野口さんが心配するのが、ミツバチの消滅現象とタネとの関係です。ミツバチはF1のタネを作る際に、受粉のために働いています。「雄性不稔」がミツバチの消滅現象を引き起こすのではないかと疑っています。つまり、「雄性不稔」がミツバチの集めた蜜で育った女王バチから、繁殖能力のないオスバチが生まれてきていないか?人間の男性の精子の数も激減しており、これもF1種の野菜を食べているのが原因だとしたら、とんでもないことになります。

 「タネを支配する者は世界を支配する」と言われていますが、生物の命運までも握っているなら恐ろしいことになります。固定種の野菜を求めようにも、どこで販売しているかわからないので、やはり、自分で農を始めるしかないのか?とても気になります。(野口勲著、日本経済新聞出版社、本体価格1,600円)

 

第三の脳 皮膚から考える命、こころ、世界』 

 

皮膚という部位は常日頃からあまり気にしていません。脳や心臓、肝臓、腎臓などは重要視しますが、本書を読んで「皮膚さま」に懺悔しなければならない。

    まず、最初に「皮膚が臓器である」って書かれています。皮膚は体液(60㎏の体重の人は40リットルの体液があります)が身体の外に流れださないための臓器と考えられます。機能面では、皮膚は最外部にあり「身体と環境のインターフェースとして、皮膚は外部からの様々な情報を受け、その情報を身体の中に発信し、環境の変化に対して身体が適応するようにしている」とても大事な臓器です。また、大人の脳が1.4㎏に対し、皮膚の重さは約3㎏、肝臓は半分切除しても命に別状なしですが、皮膚は火傷などで三分の一ダメージを受けると、死に至ります。ますます、皮膚の大切さがわかりますよね。

  身体と環境のインターフェースとして働くために、痛点などの圧力や触覚、そして温度に対する鋭敏な感受性豊かなセンサーです。外界の情報を脳に伝えるために電気システムを有し、電波も発信し、色まで識別している皮膚はとんでもない臓器です。

  さらには、書名である「皮膚は脳でもある」という研究成果が発表されています。情報処理システムである脳を持つ生物においても、脳を持たない生物でもその機能を全身に偏在させており、環境の変化に直対応する皮膚は脳に情報発信するまでに行動を促していることから、皮膚が第三の脳なのでしょう。

 人間の皮膚が体毛を失ったのは、皮膚内にある皮脂の組成が水をはじくためとされていますが、この毛をなくしたことが「スキンシップという新しいコミュニケーションの方法を手に入れた」という見方は興味深いですね。サルの毛づくろいに対して、言語を発するまではだかで生息できるヒトはスキンシップが重要なコミュニケーション手段であり、生息範囲を寒冷地に広げることで、衣服を発明、さらに新しいコミュニケーション手段として言語を発明しました。

  現代では、視覚や言語が優先され、皮膚感覚は暗黙知になりつつありますが、皮膚の重要性を再認識する時代に来ているとして、著者はペンを置いています。(伝田光洋著、朝日出版社、本体価格1,500円) 

 

 「見えないものをみる」ということ』

 

資生堂名誉会長、東京都写真美術館館長、文字・活字文化推進機構会長など、美や本物と向き合っていらっしゃる福原義春氏の「美」についてのエッセイです。読書家の福原さんの著書はどれも核心を突くものばかりですが、この本も納得の一冊です。

 

 「世界の文明はますます発展しているが、文化は矮小化していく」

 

 科学技術は進展していますが、芸術、音楽は衰退しているというのは、人間そのものの劣化によるものと考えられています。その原因はグローバリゼーションであり、市場主義経済でしょう。効率化が均一化を生み、人間の創造力は衰える一方でしょう。

 

 「多様性を否定された人間は委縮せざるを得ず、それは不幸としか言いようがない。」

 

便利な機械は人間の感性や直感、そして、以前は持ち得ていた能力まで退化させます。使わないと衰退するのは当たり前です。それでは、いかにして退化せずにいられるか?その答えは

 

 「自然に触れること、美に触れること、そして本物に触れること」

 

です。自然と一体化した自己を取り戻し、美しいものを五感で感じることを強調されています。自然の一部である人間が素晴らしい自然美を経験すると、魂が入れ替わるような気がするのは私だけでしょうか。絶景に触れ、動植物の絶え間ない活動も感性を磨いてくれます。 

 そして、その土台になる教養、「知の遺伝子」を身に付けることが大切です。いわゆる「リベラルアーツ」を学ぶ姿勢は生涯必要です。それもデジタルで受けるのではなく、書籍の力を借りることが人間の想像力や思考力を鍛えてくれます。今の生活に少し距離を置き、非日常を取り戻す、それがあなたの見えない力を向上させてくれます。(福原義春著、PHP新書、本体価格760円) 

 

ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ

 

言葉について多くの人は通常、意識していないと思います。しかし、「全世界で、500年に一度の「ことば」の大転換期が始まっている」と告げられたら、言葉を使う人間としては誰しも無視できません。それと、『書きことば』から『ネットことば』への流れです。

  言葉を生み出した人類は、『話しことば』から始まりました。紙のない時代は木や石、岩壁に書いても、それが読むのは少数の人だけでした。日本の古事記を考えても、稗田阿礼の頭脳の中にあった神話を太安万侶が文字に起こして、初めて『書きことば』になりました。つまり、人類史上では『話しことば』、音声言語の時代が長かったことになります。 

 グーテンベルクの活版印刷の発明で、『話しことば』から『書きことば』へ転換しました。ことばは語られて聞くことから、書かれて読むものになりました。この両者を比較すると

 【話しことば】 話者も聞き手も感情的になりがち。話した尻から話しことばは消えてなくなる。話して側に主導権がある。

 【書きことば】 書き手も読み手も感情的というより、内省的で思索的になる。紙が朽ちたり焼けたりするまで、書きことばは存在する。読み手側に主導権がある。

 のように、ことばの種類が変わると、使う人間にも大きな影響を与えています。書きことばの出現で、例えば、憲法や教科書などが全国民の手に入り、国民は一つの国家意識を持つようになりました。

  さて、携帯電話やスマートフォンが1人に1台の時代になり、『書きことば』は徐々に陰を隠れるような存在になっています。新聞、雑誌、書籍の退潮はまさにそのものであり、逆に『ネットことば』が台頭しています。今まで、『話す』あるいは『書く』ことによってことばは成立してきましたが、『打つ』ことでことばは表れるようになりました。『ネットことば』の特徴は

 【ネットことば】 双方向性、即時性、短文性、そして、全世界(グローバル)性。ことばだけでなく、動画、画像、音声も含まれる。記録と保存が可能になる。コミュニケーションがメインとなる。コピペ、改ざんが容易にできる。メールやSNSの普及により、スピードが求められることで、ことばは劣化していく。

 となり、長所もありますが、ことばの変質により、例えば、政治家の暴言や失言、ストーカー事件など、ことばが軽くなっているように思われます。そして、活字で生きてきた人にとっては、「現在の事態は、足もとの地面がまわりから崩れていって、立っている場所がもう残り少なく、つま先たちでかろうじて落っこちないですむ」感じでしょう。メディアによってことばは変わらざるを得ませんが、このままでは人間そのものも劣化していかざるをえない。

 

 「書くことは思考であり、その思考を深めること、継続することで、生きのびる力を得ることができる。同時にそれを読む現代の読者もまた、生きのびる力を得ることができます。(中略)孤立した思考世界で自己と対話することは、ネットではなく、本でなければならない」という結論には、もろ手を挙げて賛成です。本の商売うんぬんより、人間の変質、悪化は避けなければならないですから。(藤原智美著、文藝春秋、本体価格1,100円) 

心をつかむ高校野球監督の名言

 

  甲子園での高校球児たちの姿を見るといつもながら感動ものですね。はつらつプレー、全力疾走など、彼らにとっては普通の態度でしょうが、大人から見ると心震わされます。本書は甲子園出場常連校の監督30人の名言を取り上げ、その言葉に至った監督と選手たちの状況を取材しています。

  今年大リーグを引退した松井秀喜を育てた、星稜高校の山下智茂監督の言葉はどれも素晴らしい。

  「若い子は、花になりたいんです。でも、花だって根っこがしっかりしていないと腐ってしまう。高校野球は根っこづくり。だから、僕は言うんです。『花よりも、花を咲かせる土になれ』とね。」 

「監督というのは指導者だよ。監督じゃないよ」

 「一番大事なのは、心だよね。人間性だよね。それをしっかり教えたうえで技術も教えてほしい。感謝のない人間には運は来ない。」技術指導ばかりに終始せず、人間性(あいさつ、礼儀、身だしなみ、態度、道具の大切さ、グランド整備の重要性などから人間性を築く)を育てる指導者の方が重要であることを仰っています。

  県岐阜商業高校の藤田明宏監督は、「本気と一生懸命は違う。本気というのは自分の中から湧き出してくる本当の気持ち。」と言い、選手に対し、「自分で考えて、より実戦に近づけて練習する」ことを求めています。

  沖縄・興南高校の我喜屋優監督は、「誰かが犯したミスを見つけてしまったわけだから、それをカバーするのが見つけた人の責任。」と、守備でのカバーリングの大切さを教えるのに、日常でのごみ拾いをさせ、ごみを拾える人はいろいろなところに気がつく人と考えています。

  最後は、兵庫県加古川北高校の福村順一監督です。「指導者としてのビジョンを持って、最終的にどういうチームにしていくか。それから逆算していって、メニューを立てて、工夫していくのが大事。ビジョンがあるから我慢もできるんだと思います。」リーダーとしてあるべき姿を指し示されています。

 他にも素晴らしい言葉の数々で、単に高校野球の監督の言葉と読み進めるだけではあまりにもったいなく、会社や学校など組織の成員にとって非常に有益な示唆を与えてくれる本に出会えて幸せです。(田尻賢誉著、ベースボール・マガジン社、本体価格1,400円 ) 

『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』

 

 『発酵道 酒蔵の微生物が教えてくれた人間の生き方』(寺田啓佐著、河出書房新社、本体価格1,500円)で、造酒屋の主として、人間生きる上でも腐敗せずに発酵することの大切さを学びましたが、今度はパン屋さんがパンの発酵と資本主義の相関を考察しています。

 自然界では、菌による「あらゆるものを土に還す『腐る』という働き」が存在します。人間にとって有益な食を生む腐るは「発酵」と呼ばれ、そうでないものは「腐敗」と見なされます。そして、「発酵」は「自分の内なる力で育ち、強い生命力を備えた作物」により行われ、「腐敗」は外から肥料を与えられ無理やり太らされた生命力の乏しいものにとり行われます。

 これを経済で置き換えると、資本主義経済は好景気、そしてバブル、最後には破綻し、結果、資金を市場にじゃぶじゃぶ流し、成長を促す施策はどう見ても「腐敗」であり、健全でありません。経済は自然界とは違いますが、その経済をつかさどっている人間は自然界の一部です。「発酵する」経済、著書のような「腐らない」経済を目指さないと、「腐敗」経済の連続で、資本主義の発展は考えられません。

  発展のキーワードは「循環」そして、「発酵する場」を作り出していくこと。著者は「利潤を出さない」パン屋を実現することで、資本主義の次のステージを切り開こうとしています。(渡邉格著、講談社、本体価格1,600円 )

美しい「形」の日本 文字では表せなかった美の衝撃

 

  ヨーロッパの建築は大理石に代表されるように石造です。それに引き換え、日本の場合は、火事や地震、台風によるダメージを受けやすい木造建築ですが、法隆寺を含めて建築当時からの姿をとどめているものが多いですね。

   著者の、東北大学名誉教授の田中先生は、建築や仏像、絵画などを「形象学」の方法を用いて研究し、日本の「形」に着目した文化史の本として、本書は書かれています。

 西洋と日本の対比は明確です。西洋は「言葉」に基づいています。これはキリスト教の伝統にはぐぐまれた、「初めに言葉ありき」に根幹があります。すなわち、建築であれ、彫刻、絵画でも、西洋では言葉で論理的に書かれた書物が十六世紀に出されています。

 しかし、日本では多くの美術作品、建築物が作られたにもかかわらず、西洋からの文化が入ってくる明治以降にならないと解説本は出版されていません。

 

 「日本人は古来から、『形』の美しさは言葉ではとうてい表現しようがない。」「『形』と『言葉』は別物」という視点があり、形こそが日本を表現するもの であると、田中先生は考えられています。それは、単に美術、建築に留まらず、俳句や短歌などの型のある文学、政治形態としての天皇制、伊勢神宮の式年遷宮などの慣習、しきたりさえも、「形象学」の範疇であると申されています。それは、美しい「形」を一貫して守る、継続する姿です。「美の飽くなき追求」こそ、「形」に表れた日本文化の基本です。(田中英道著、ビジネス社、本体価格952円)

 

生きる技法 

 

著者の安冨教授は配偶者にモラルハラスメントを受け、母親には恐怖心を抱いて生きてきましたが、四〇歳になって精神的にも身体的にも耐え難い状況に陥りました。そこで出会った命題が「自立とは、多くの人に依存することである」私も、「自立とは、誰にも頼らないこと」と信じ込んでいましたが、「依存する相手が減ると、人はより従属する」こととなり、安冨先生の境遇になります。「自立した人と言うのは、自分で何でもする人でなく、自分が困ったらいつでも誰かに助けてもらえる人であり、そういう関係性のマネジメントに長けている人のこと」ということを知れば、肩の荷が軽くなりますよね。

 この生きるための根本原理に立脚すれば、友だちについても、「誰とでも仲よくしてはいけない」や、貨幣については、「貨幣は他人との信頼関係を作り出すために使うべき」、自由に関しては、「自由は選択肢が豊富であることではなく、思い通りの方向に成長すること」など、胸が空く思いがします。

 人は子どもの頃から、「こう生きたらいいよ」とある種押し付けられた幻想のようなものを抱いています。しかしその考えは押し付けた人には有益であっても、押し付けられた人には無益だけでなく、不自由な人生を歩まざるを得ないことになっているんだなと理解できました。人生の幕は誰にとってもいかようにでも開くという確信を得ました。(安冨歩著、青灯社、本体価格1,500円)

 

 

自然農という生き方 いのちの道を、たんたんと


 奈良で自然農を実践し、多くの人たちを自然農へ導かれている川口由一さんの生きざま、自然農のあり方を聞き書きしているのが本書です。耕さず、肥料もやらず、石油で動く農耕機具も用いない、自然の力と人間の少しの援けで農作物を作っています。

 芸術家を目指していた川口さんは、実家の長男として農家を継ぐことになりましたが、芸術の基本が美を極めることですので、

 「人生に芸術は欠かせないものであって、醜から離れて、真の美の追求、美を具現化する人生でありたい。」

という生き方を歩まれておられます。

 そして、慣行農業における農薬で肝臓を痛めた川口さんは自然農を始めます。

 「自然農は自然の営みといのちある作物に『沿っていく、応じていく、従っていく、そして任せ』」「いのちの世界におけるいのちあるものは、どういうところで育つものなのかを知り、いかにこれまで人間が余計なことをしていたかに気付かないといけません。」

とし、「農の歴史における『耕す』という行為が、誤りに陥る一歩。一度耕すと、時の流れと共に土が硬くなって、作物の根に空気が届かず、育ちが悪くなる」ことから、

 「すべてのいのちは自ずから然らしめています。人為を挟まなくてもいい。自然界は誤ることなく、為して為さないものはありません。為すべきものは自ずから為しています。刻々と、絶妙に、それぞれが我がいのちを為している。」

と述べられています。これこそ自然に則し、自然からの産物として食を『いただく』存在としての人間であらねばなりません。

 「人の道、いのちの道、我が道を得た時、幸せのあるところが具体的に明らかになっています。その上で、その答えを生きる強さを養うことが必要です。」

 我が道に至るまでに、「いのちとは何か」、そして、「人間とはいかに生きるべきか」を問い直す必要があることをしみじみ理解できました。さらには、これからは外からではなく内から、足元から見つめ直すことが大切です。川口さんを日本農業界の「タオ」「老子」と名付けたいなぁと思います。(川口由一・辻信一著、大月書店、本体価格1200 円)

『インターネットが壊した 「こころ」「言葉」』

 

精神科医の著者は、この20年間、気分障害(うつ病、躁うつ病)、統合失調症、不安障害の受診者や児童虐待の増加を目の当たりにされています。この原因には人間関係における不安や軋轢が横たわっています。つまりは、うまくコミュニケーションが取れなかったり、人と話をするのが苦手、あるいは過度の緊張を感じるなどのストレスから発しています。

現実のコミュニケーションで大きく変化しているのが、ネットの登場やEメールや携帯電話の普及です。面と向かい合わず、相手の都合を考えないで自分の主張を伝えます。それだけでなく、この便利な伝達手段は目に見えない影響をユーザーである人間に与えています。それは、

共同体や地域、ひいては家族との関係の希薄化~煩わしい人間関係は排除する

 「待てない」ようになっている

 人の使う言葉が衰えている大量な情報に対応する時間がなく、長文を読むのを避けるきらいがある。ツイッターやフェースブックなど、短文志向になっている。

言葉の衰えは精神の衰えを招く言葉を駆使することによって、人の精神は成長するが、ネットでは画像、映像、絵など、表現のし易いもので表現され、言葉での説明は省かれている。

 一方向へ思想は傾く~短文による意見の羅列と集積、それにこの繰り返しを読むことで我々の行動は短絡的になる

知的産業の衰退~閲覧するのにフリーなネットは新聞、出版、音楽、映像などの知的産業を消滅しかねない

 

です。便利には必ず落とし穴があり、最後に泣くのが利用者である我々になることだけは避けなければなりません。活字を扱う書店として、人間の精神の堕落には歯止めをするべく、高い使命感で活発に活動していかなければなりません。(森田幸孝著、幻冬舎ルネッサンス新書、本体価格838円)